った。戦い取られたものではなく、外から与えられたものであったからであろうか。
自由のこの静けさの故に、それを享受する吾々の心の中に、ほっとした休息の瞬間、思惟をやめておのずから眼を伏せる瞬間、なにか喪に似た寂寥が浮びあがってくるのである。
何に対する喪か。見渡したところ、その対象は見当らない。軍部や官僚や財閥の崩壊は、ただ徹底的ならんことが望まれるばかりである。軍国主義や封建主義の払拭は、一抹の残滓をも残さざらんことが望まれるばかりである。其他、何処にも何物にも未練は持たれない。勝利を失ったことについても、聖戦ではなくて侵略戦だったことが明かな今日では、もはや遺憾とは考えられない。戦場や被空襲地で斃れた多くの同胞については、限りない哀悼の感を覚えるが、この回顧的な悲しみは異質なものである。それでは、この喪に似た寂寥は何か。
全然新たな時代なのである。たとえ夢想され翹望されたことはあっても、実現は遠い将来と思われていた、その自由の世界へ、即刻只今から、新たに発足するのである。ここで吾々は、旧きもの一切を脱ぎ捨てて、新らしき一切のもののなかにはいり込んで行くのである。譬えて言おうなら
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