或る日の対話
豊島与志雄
過日、あの男に逢った時、私は深い寂寥に沈んでいた。
朝から陰欝に曇っていて、午過ぎに小雨があり、それからはいやに冷かな湿っぽい大気が淀んでいたところ、夕方近くなって、中天の雲が薄らぎ、明るい斜陽が地上に流れた。
その斜陽に輝らしだされた軒並や焼跡を、硝子戸越しに、椎の木のまばらな枝葉の間から、私はぼんやり眺めやった。硝子戸の外の椎の木から先は、低い崖になっていて、谷合めいた低地が続き、そこにぎっしり人家が立ち並び、その先方に丘陵がもりあがり、丘陵の上下の縁は空襲による焼跡で、その向うは、人家を包みこんだ木立になっている。その全体の眺望が、へんに静かだった。
低地に立ち並んでいる人家は、住宅も商店も二階建ての小さなもので、埃や煤にまみれた瓦屋根を、ひっそりと斜陽に露呈している。それだけのことで、人の姿はもとより、一筋の煙も見えない。電車の音もせず、何かの動く気配もない。こういうひっそりした合間の時間が、町のなかに、町の上に、あるものであろうか。一瞬間私は、無人の町の錯覚に囚えられた。屋根並みがぎっしり込んでいるだけに、動くものの皆無な無人の町の印象は、
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