ものにするのさ。そこで、この作品は、どうなんだい。」
「少し、やさしすぎるような気がしますけれど……。」
「けれど……それから。」
「わたくしにはたいへん勉強になります。」
 相当にうまいことを言う。やさしすぎたり、彼女の勉強になったり、する筈だ。メモに過ぎず、粗描に過ぎないのだ。
「君の勉強になるなら、結構だ。然しね、作品はやさしいほどいいんだ。作家というものは、大衆に奉仕する精神が大切だ。独りよがりは最もいけない。深遠なことを平易に表現する、これが最高の技術だ。」
 彼女は黙って謹聴している。もういいと言うまで、そこに坐りこんでるかも知れない。気が利かないんだ。
「もういい。」とおれは言う。
 それからおれは一人で、酒を飲みはじめた。電熱器を持ちこんで、日本酒の燗をするのだ。考えることも仕事の一種だと、さよ子にも女中にもかねがね言い聞かしてある。こちらから呼ばなければ、誰もサーヴィスに来ない。よく訓練がとどいている。
 相馬多加代は、いったいどうしたのであろうか。いくら待ってもやって来ない。午後、夕方までには、必ず、と堅い約束だった。もう薄暗くなりかけている。

 多加代がおれの書
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