案外、読者の眼をごまかせるかも知れない。内容が古くさいのは何とも致し方ないが、これとても、一種の皮肉として通用しないとも限らない。一人の男をめぐって、その細君と馴染みの芸者との間の、とんちんかんな変梃ないきさつの事実メモだ。
小説家たる者は、平素の心掛けや勉強が大切だ。何が役に立つか分らない。おれはそのノートを原稿用紙に清書することを、本間さよ子にやらせた。自分ではさすがにばかばかしくて出来ないし、時間もない。
さよ子は、まあ謂わば文学志望者で、おれの家にいて、家事の手伝いをしたり、原稿や書信の整理をしたりしている。前には或る出版社に勤めていたが、のろまで役に立たなくて持て余されているのを、おれの方に引き受けたのだ。のろまで役に立たないというのが、おれの気に入った。家庭においては、女のきれ者はすべて禁物だ。
ノートの清書を頼んで、おれは言った。
「君の勉強になることだから、一生懸命にやってごらん。清書をするという気持ちではなく、半ばは自分で創作をするという気持ちで、足りないと思うところは自由に書き足すんだよ。」
さよ子の態度にも眼の色にも、神妙な意気込みと歓びとが見えた。それが
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