着くことの出来たなつかしいカツギヤ宿だ。
ところが、女中に勘定をたのむ時、酔いかけてる善良な親切な俺が、恥しいことを言った。
「あの娘さん、勘定は払ったかね。」
「払って行ったよ。」
女中は答えて、怪訝そうに俺の顔をじっと見た。
俺は恥しくて、顔が赤くなる思いをした。
「いや、僕の分まで払ったかと思ってね。」
「ばかなこと言いなさんな。」
そうだ、ばかなこと言うもんじゃないと、俺は煙草をすぱすぱ吹かした。
岩木周作の家は、焼け残りの閑静な地域にある。板塀の上から差出てる百日紅の枝に、きれいな花が咲いていた。
訪れると、細君の久子さんが出て来た。名前は知ってるが、初対面だ。背は高い方で、顔の輪郭から、眼や鼻や口や、身体つきまですべて、如何にも細そりした感じのひとである。――あとで岩木から聞いたところによると、彼女は嘗て肋膜を病み、それから引続いて神経衰弱の痼疾になやんでいるとか。
俺の名刺を見て、彼女はひどく驚いたらしい。
「まあ、どうしましょう。」
独語を呟いて、それから我に返ったようだった。主人がたいへん待っていたこと、市役所の何かの委員会に出かけているが、電話をす
前へ
次へ
全18ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング