眼界に取り入れるがいい。たまには足場を失って墜落する者があっても構わない。たまには地下深くいり込んで窒息する者があっても構わない。凡庸な途を進むよりも、非凡な危険な途を進む方が、より早く偉大なものに到達し得るであろう。
然しながら、所謂ヒューメーンを去れということは、謙譲を去れという意味ではない。所謂ヒューメーンと謙譲との間には大なる差がある。謙譲は自己沈潜の一つの方法である。しっかりと根を張ることを忘れまいとして、眼を内心に向けることである。浮草や木の葉のように風や水のまにまに吹き流されまいとする努力である。然し、所謂ヒューメーンなるものは、地面の上に寝転んで日向ぼっこをすることである。半睡の眼であたりを見廻すことである。周囲の事物の奥底に採り入ろうとする努力は勿論のこと、自分自身の魂の底を覗こうとする努力をも、凡て捨てて顧みないことである。何の足しにもならない平凡事を平凡な心で受け取ることである。其処に所謂ヒューメーンなるものの致命的な欠点が存する。
写真と芸術との区別は誰でも知っている。然し往々にして、最もよく撮られた写真を、自然人生のうちから面白い場面を切り取った写真を、ヒ
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング