魂が宿ってくる。然し写真のレンズのような眼で見られる時、がらくたは何処までもがらくたである。
 凡庸な眼で見られた凡庸な家常茶飯事、そういう作品が所謂ヒューメーンだという仮面の下に逃げ込んでゆく。人はそれを深く追求しないで、なるほどヒューメーンだと感心する。そういう傾向が増長してゆく時、文壇には行きづまった腐爛の空気が漂ってくる。――批評家の方に就て云えば、瓦全した作品と玉砕した作品との区別がつかなくなる、膚浅な作品と深刻な作品との見分けがつかなくなる。本質的な価値批判を忘れて、外的な批評を事とするようになる。欠陥があるのは凡て劣って居り欠陥がないのは凡て優れてるという見方になる。一歩後れた完全よりも一歩進んだ欠陥の方が優れてるということを注意しなくなる。作家の方に就て云えば、偸安を事として努力を忘れてくる。周囲の狭い世界に満足して、視界を拡大せんとすることを努めない。地面の上に手を拱いて佇むばかりで、天空に伸び上ることをせず、地下深く掘ることをしなくなる。もっと具体的に云えば、手頃な材料をひねくりまわすばかりで、大きな問題にぶつかってゆくことを忘れ、或は一の問題を深く探り進むことを忘
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