を有する全範囲を指すことになる。そしてこの範囲外に属するものが即ち怪物的となる。怪物的なものは、上に在っては神的と称することが出来、下に在っては悪魔的と称することが出来る。かかる人間的と怪物的との境界を定むるものは、ノルマルな状態に在るノルマルな人の心である。
然し、「ヒューメーンな」作品だとか、或は「この作品の人物はヒューメーンだ。」とか云われる時、そのヒューメーンという言葉は、上述の人間的という意味に使われてはしない。もし上述の人間的という意味であったら、凡そ芸術上の作品なり人物なりに、ヒューメーンならざるものは殆んど存しないと云ってもいい、否凡ての作品は皆ヒューメーンである。二三の大作の人物を除いては(日本の文壇ではこの除外例は不要であるが)凡ての人物は皆ヒューメーンである。
それでは所謂ヒューメーンとはどういうことであるか。それは「最も[#「最も」に傍点]ヒューメーン」の謂である。そして最もヒューメーンであるということが、往々にして作品の讃辞として使われている。この「最も」という限定を付しない所に錯誤が生じてくる。それを作品の讃辞として使う所に錯誤が生じてくる。
最もヒュ
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