ば豪いほど、非凡なればなるほど、益々いいのである。
以上のことは、云わないでも分りきったことであるが、以下「ヒューメーンということ」に就ての感想を誤解せられないために、一言断って置くのである。立論の根拠を明にして置かないと、とんだ誤解をせられ易い。論を見て其の論の拠点までも省察してくれるほどの親切は、今の忙しい文壇に少なそうだから。
或る作品を批評する場合に、「これはヒューメーンな作」だということがよく云われる。
ヒューメーンという言葉は、広く之を「人間的」という風に解する時には、もはや一つのものを指すのではなくて、人間の有する種々な性質を指すことになるべきである。気弱さから気強さに至るまで、邪悪から善良に至るまで、微賤から崇高に至るまで、感傷から剛健に至るまで、其他多くのものを含むことになるべきである。なぜなら、人間を気弱な邪悪な微賤な感傷的な……ものと見るのは、囚われた見方であって、人間のうちには気強いものや崇高なものや剛健なもの……も同程度に於て存在しているから。そしてまた、右のものはそれぞれ深浅の度に於て多くの程度がある。即ち人間的という言葉は、或る程度の上下左右の拡がり
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