翼思想家なりに、何等かの意味でジャングル頭が多い。
ここにジャングル頭というのは、邪教教祖的頑迷さが石塊のように脳裡に蟠居してるものを指す。自分でそれを詰め込んだのもあろうし、他から詰め込まれたのもあろうが、その特質としては、自己の思慮の奴隷となり傀儡となって、決して他人の言説に耳を貸さないことだ。日本には現在大小合せて万に近い巷の教祖があり、その信者は百万に達するとか。そういう民度の段階だから、ジャングル頭の多いのも怪しむに足らない。
ただ、注意を要するのは、これを信念と混同してはいけない。信念とは言うまでもなく、前方に何等かの理想と光明とを掲げ、それへ向って公明な歩調で進んでゆき、途中の障害にたじろがないことだ。盲目でも聾でもなく、息吹きは明朗である。斯かるまことの信念の精神が、残念ながら日本には甚だ少い。それに反比例して、ジャングル頭が甚だ多い。これは盲目で聾だ。
メクラ、ツンボ、と言えば、非人情なことには、物怖じしない者の例として持ち出される。然し、物怖じしない代りには、何かに激発されれば、自らは兇器を振り廻すことがある。ジャングル頭も同様で、そこに、暴力肯定の温床がある
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