と※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》との悲壮な闘争の近くに潜伏することになった、あの土地で――一九〇三年七月七日に執筆を始めて、マジュール湖岸のバヴェノで、一九一二年六月二日に完結した(三)。その大部分は、パリーの塋窟《カタコンブ》の上手のぐらぐらした小さな家――モンパルナス大通り一六二番地――で書かれたのであって、その家は、一方では、重々しい馬車や都会のたえざるどよめきに揺られていたが、他の一方には、饒舌《じょうぜつ》な雀《すずめ》や喉《のど》を鳴らす山鳩《やまばと》や美声の鶫《つぐみ》が群がってる古木のある、古い修道院の庭の、日の照り渡った静寂さがたたえていた。そのころ私は、孤独な困窮な生活をしていて、友人もあまりなく、自分でこしらえ出す楽しみ以外の楽しみを知らず、教師の務めや論説執筆や歴史の勉強など、堪えがたいほどの仕事をになっていた。糊口《ここう》の労苦に追われて、クリストフのためには日に一時間しか割《さ》けなかったし、それさえ無理なことがしばしばだった。しかしその十年間、一日としてクリストフに面接しない日はなかった。クリストフは口をきいてくれないでもよかった。
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