両者は、私がこの作品とその目標とについていだいていた意想に密接な関係を有するから。けれども私は、自分の美学的見解についての一般的論説の中で、いっそう長くそれを取り扱うつもりでいる。私の美学的見解は、現代フランス人の大多数のそれとはまったく異なる。
 ただここでは、一言いっておけば足りるであろう。すなわち、ジャン[#「ジャン」に傍点]・クリストフ[#「クリストフ」に傍点]の文体は(それによって私の作品の全体は誤った批判を受けがちであるが、)「カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ」叢書《そうしょ》刊行の初めのころ、私の全努力と戦友ペギーの全努力とを鼓舞してくれた主要観念によって、指導されたものである。その観念は、ゼラチン的な時代と環境とにたいする反動から、われわれが極端にそうであったとおりに、粗暴な雄々しいしかも清教徒的なもので、だいたいつぎのようなものであった。
「直截《ちょくせつ》に語れ。脂粉と嬌飾《きょうしょく》とをなくして語れ。理解されるように語れ。一群の精緻《せいち》な人々からではなく、多数の人々から、もっとも単純な人々から、もっとも微々たる人々から、理解されることだ。そしてあまりによく
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