を、闘争せる世界の上に光被すべきである。
クリストフはローマに長くとどまらなかった。この都会が彼に与える印象はあまりに強かった。彼はそれにたいして恐れをいだいた。その諧調《かいちょう》をよく役だたせるためには、遠く離れて聴《き》かなければいけなかった。もし長くとどまっていたら、多くの自国民と同じように、その諧調にのみ込まれてしまう恐れがあることを感じた。――またときどき彼はドイツにしばらく滞在した。しかし結局、そしてドイツとフランスの葛藤《かっとう》の切迫してるにもかかわらず、彼をいつもひきつけるのはパリーであった。もちろんパリーには彼の養子とも言うべきジョルジュがいた。しかし彼が心ひかれる理由は愛情ばかりではなかった。他の理知的な理由もそれに劣らず強いものがあった。満ち満ちた精神生活に馴《な》れていて、人類の大家族のあらゆる熱情に雄々しく立ち交わる芸術家にとっては、ふたたびドイツに住み馴れることは困難だった。ドイツにも芸術家がいないではなかった。しかし空気が芸術家にたいしては不足していた。芸術家らは一般国民から孤立していた。国民は彼らにたいして無関心だった。社会上のある実際上の他の仕事が、一般人の精神を奪っていた。詩人らは怒気を含んだ蔑視《べっし》をいだきながら、蔑視されたおのれの芸術の中に閉じこもっていた。彼らは民衆の生活に自分らを結びつける最後の糸までも絶ち切って、傲然《ごうぜん》と構え込んでいた。彼らは少数の人々のためにばかり書いていた。それは才能が豊かで洗練されしかも無生産的な小貴族の仲間であって、それ自身また気のぬけた芸術通の多くの流派に分かれて対抗しあっていた。そして彼らは自分の閉じこもった狭い範囲内で息苦しがっていた。その範囲を広げることができないで、熱心に深くへと掘り進んでいた。地面が空《むな》しくなるまで掘り返していた。そしてしまいには無秩序な自分の夢想の中におぼれてしまって、その夢想を普及しようとも思わなくなっていた。各自に霧に包まれてその場でもがき苦しんでいた。共通の光明などは少しもなかった。各自に自分自身から光がさすのを待つばかりだった。
それに反して、あちらでは、ラインの彼方《かなた》では、西隣の人々のうちでは、集団的熱情の大いなる凪が、社会一般の颶風《ぐふう》が、時を定めて芸術上に吹き渡っていた。そして、パリーの上にそびえるエッフェル塔のように、古典的伝統の不滅の燈火が、平野を見おろしながら遠くに輝いていた。この伝統は、労苦と光栄との幾世紀かによって得られたもので、手から手へ代々伝えられて、人の精神を屈服させることも束縛することもなしに、各時代がたどりきたった道を指示してやり、その光明の中で民衆全体の心を相通わしめていた。一つならずのドイツの精神は――闇夜《やみよ》のうちに迷った鳥は――この遠い照燈のほうへ一直線に飛んできていた。しかしフランスにおいては、隣国民の多くの寛大な心をフランスのほうへ向けさせるその同感の力に、だれか気づいてる者があろうか! その政治上の罪悪には少しも責任のない、多くの公正なる手が差し出されているのだ……。しかもそれらドイツの同胞たちも、彼らに向かってつぎのように言うフランスの同胞たちを認めていない。「さあ握手をしよう。幾多の虚言や憎悪があるにもかかわらず、われわれは少しも離れることがないだろう。われわれの民族を偉大ならしむるために、僕たちには君たちが必要であり、君たちには僕たちが必要である。われわれは西欧の両翼である。一方の翼が破れるときには、他方の翼も飛ぶことができなくなる。戦争が起こるならば起こるがよい。たとい戦争をもってしても、われわれの握手とわれわれ同胞の才知の飛躍とは、けっして断たれることがないだろう。」
そういうふうにクリストフは考えていた。両民衆がいかほどたがいに補い合ってるか、その精神や芸術や行動は、たがいの援助を欠くときにいかほど不具に跛足になるか、それを彼はよく感じていた。両文明が合流してるライン河のほとりに生まれた彼は、早くも幼年時代のころから、両者結合の必要を本能的に感じていた。そして生涯《しょうがい》の間彼の天才の無意識的な努力は、力強い両の翼の平衡均勢を維持することに向けられていた。彼はゲルマン的な夢想に富めば富むほど、ラテン的な秩序と精神の明晰《めいせき》とをますます要求した。それゆえフランスは彼にとって非常に貴重なものだった。彼はそこでおのれをよりよく知りおのれを支配するの喜びを味わった。ただフランスにあってのみ彼はまったくの彼自身であった。
彼は自分を害せんとする分子にも不平を言わなかった。彼は自分の精力と異なった精力をも同化していた。強壮な精神は、健やかであるときには、あらゆる力を吸収し、自分と反対の力をも吸収する。そしてそれを自分の肉となす。人はある時期に達すると、自分にもっとも似寄らないものにもっとも心をひかれる。なぜなれば、そこにより豊富な食糧を見出すからである。
実際クリストフは、自分の敵だとされてるある種の芸術家らの作品にたいして、自分の模倣者らの作品にたいするよりもより多くの悦《よろこ》びを覚えた。――彼にもやはり模倣者どもがいて、彼の弟子だと自称しながら彼をひどく絶望さした。それはみな善良な青年で、彼を深く崇拝していて、勤勉なりっぱな人物で、各種の美質をそなえていた。クリストフは彼らの音楽を愛したかったが、しかし――(あいにくなことには!)――愛するわけにゆかなかった。それらの音楽をつまらないものだと思った。そして彼は、個人的には彼に反感をもち、芸術上では彼と反対の傾向を代表してる、ある音楽家らの才能に、はるかに多く心ひかれた……。反対であろうと構うものか! 彼らは少なくとも生きてるではないか!……生はそれ自身一つの美徳であって、その美徳を欠いている者は、たとい他のあらゆる美徳をそなえていても、完全に正しい人間とはなれないのである。なぜならその者は完全に人間ではないから。クリストフはよく冗談に、自分を攻撃する人々をしか弟子とは認めないと言った。そして、若い音楽家が自分の音楽的|天稟《てんぴん》を話しに来て、彼の同情をひくつもりで彼に諛《へつら》うと、それに向かって尋ねた。
「それでは、君は僕の音楽に満足してるのですか。君は僕と同じ方法で、自分の愛や憎悪を表現するつもりですか。」
「そうです。」
「そんならもう黙り込んでしまうがいいでしょう。君には何も言うべきものがないはずです。」
服従せんがために生まれた従順な精神を嫌悪《けんお》し、自分の思想と異なった思想を吸いたいために、彼は自分の観念とまったく反対の観念を有する人々のほうへひきつけられた。彼の芸術や理想主義的信念や道徳的概念などを死文に等しく思ってる人々に、彼はかえって加担してるがようだった。そういう人々は、人生や愛や結婚や家庭や、あらゆる社会関係にたいして、彼と異なった見方をしていた。もとより善良な人々ではあったが、しかし精神的進化の他の時代に属してるようだった。クリストフの生の一部を食い荒らした苦悶《くもん》や懸念などは、彼らには理解できがたかった。もちろん彼らにとってはそのほうが結構である! クリストフはそれを彼らに理解させようとは願わなかった。自分と同じように考えながら自分の思想を是認してもらうことを、彼は他人に求めなかった。自分の思想については自分で確信をもっていた。他人にたいしては知るべき別な思想を求め、愛すべき別な魂を求めていた。常にますます愛しますます知りたかった。見てそして見ることを学びたかった。ついに彼は、昔自分が攻撃した精神傾向を他人のうちに是認したばかりでなく、それを享楽するまでになった。なぜなら、それは世界の豊饒《ほうじょう》に貢献するところがあるようだったから。ジョルジュが彼と同じように人生を悲劇だとは思っていないにしても、彼はやはりますますジョルジュを愛していた。彼が身を護《まも》ってきた精神的|真摯《しんし》さや勇壮なる自制を、もし人類が一様にまとっていたら、人生はあまりに貧弱になりあまりに色彩に乏しくなるだろう。喜悦、無頓着《むとんじゃく》、あらゆる偶像にたいする不敬な勇気、もっとも神聖なる偶像にたいしてまでも不敬な勇気、それを人生は必要としてるのだった。「世界を活気づけるゴールの[#「世界を活気づけるゴールの」に傍点]辛辣《しんらつ》」こそ祝すべきかなである。懐疑も信念も共に必要である。懐疑は昨日の信念を滅ぼして、明日の信念の場所をこしらえるのである……。美しい画面にたいするように、人生から少し遠のいて、近くで見ればたがいに衝突してる種々の色彩が、玄妙な調和のうちに融《と》け合うのを見る者にとっては、いかにすべてが光り輝いてることだろう!
クリストフの眼は、精神界とともに物質界の無限の多様さにたいしても開かれていた。それはィタリーへ初めて旅したときからの獲物《えもの》の一つであった。パリーで彼はことに画家や彫刻家と交際を結んだ。そしてフランス人の天才のもっともよきものは彼らのうちにあることを見出した。彼らが物の動きを追求し、震える色を瞬間にとらえ、人生がまとってる覆面をはぎ取ってる、その堂々たる大胆さは、人の心を愉快の念で躍《おど》り立たせるほどのものがあった。見ることを知ってる者にとっては、光の一滴も無尽蔵な豊富さを有するのである。精神のかかる崇厳な愉悦に比ぶれば、論争や戦争のいたずらな騒擾《そうじょう》がなんであるか?……しかしそれらの論争やまた戦争も、霊妙なる光景の一部をなしてるのである。すべてを抱擁しなければいけない。われわれの心の熱しきった熔炉《ようろ》の中に、否定する力と肯定する力とを、敵と味方とを、人生のあらゆる金属を、嬉々《きき》として投げ入れなければいけない。そしてすべての帰着は、われわれの内部に作り出さるる立像にある、精神の崇高な果実にある。その果実をますます美《うる》わしからしむるものは、たといわれわれを犠牲となしてそうするものも、みな善《よ》きものと言うべきである。創造する主体が何になるものぞ。ただ創造さるるもののみが現実である……。われわれを害せんとしてる敵よ、諸君の攻撃もわれわれには達しないであろう。われわれは諸君の打撃を超越しているのだ……。諸君は中身のない外皮に噛《か》みついている。しかし予は久しい前にそれから抜け出しているのだ。
彼の音楽上の製作は晴朗な形をとっていた。それはもはや、以前にしばしば寄り集まり破裂し消え失《う》せたあの春の夕立雲ではなかった。それは真夏の白雲であり、雪と黄金との山であり、徐々に飛翔《ひしょう》して空を満たしてる光の大鳥であった……。創造よ。八月の静かな日光に熟してゆく作物よ……。
初めはまず、漠然《ばくぜん》たる力強い無我の境。鈴なりの葡萄《ぶどう》の房《ふさ》の、ふくれ上がった麦の穂の、熟した果実を孕《はら》んでる妊婦の、朧《おぼ》ろなる喜び。大オルガンのとどろき。底のほうで、蜜蜂《みつばち》が歌ってる蜜房……。秋の柔らかい光のようなその薄暗い金色の音楽から、音楽を導く節奏《リズム》がしだいに浮き上がってくる。遊星のロンドが姿を現わす。それが回転する……。
すると、意志が現われる。意志は、嘶《いなな》きつつ通りかかる夢想の臀《しり》に飛び乗って、それを両|膝《ひざ》でしめつける。精神は、おのれを引き込む節奏《リズム》の規則を認める。そして不規則なもろもろの力を統御して、それに一定の道を定めてやり、またおのれの行くべき目標を定める。理性と本能との交響曲が組織される。影は明るくなる。展開してゆく長い一筋の道の上に、一行程ごとに輝ける光点が印せられる。そしてその光点自身は、創造される作品のうちにおいては、太陽系の囲郭につながれたる小さな遊星の世界の、中核となるであろう……。
画面の重《おも》なる線はここに至って決定する。そして今や全体の顔貌《がんぼう》が模糊《もこ》たる曙《あけぼの》から浮き出す。すべてが明確になる、色彩の調和も形
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