げいご》者らを、空想的な理想主義者らを、人道主義の思想家らを、ただに軽蔑するだけでは満足しないで、社会に害毒を流す者と見なしていた。それらの青年らの眼から見ると、エマニュエルも右の部類にはいる者だった。エマニュエルはそれをひどく苦痛とし、またそれを憤慨した。
彼はクリストフも自分と同様に――自分以上に――そういう不正の被害者であることを知って、同情の念を覚えてきた。彼は自分の不愛想によって、クリストフが会いに来てくれる気をくじいてしまっていた。そしてあまりに高慢だったから、名残り惜しい様子をしてこちらから会いに行くことをしかねていた。けれども、偶然らしいふうにうまく彼に出会うことができて、向こうから手を差し出させるようにした。その後は彼の陰険な猜疑《さいぎ》心もすっかり和らいで、クリストフから訪問される喜びを隠さなかった。それから二人はしばしば各自の家で会うようになった。
エマニュエルはクリストフに自分の憤懣《ふんまん》を打ち明けた。彼は批評家らに激昂《げっこう》していた。そしてクリストフが十分心を動かしていないのを見ると、クリストフ自身に関する新聞の批評を読ました。そこではクリストフは、自己の芸術の文法を知らず、和声《ハーモニー》に無知であり、仲間の作品から剽窃《ひょうせつ》し、音楽を汚す者であるとして、誹謗《ひぼう》されていた。「あの荒くれ老人……」と呼ばれていた。そしてこうも書いてあった。「われわれはこういう癲癇《てんかん》持ちどもにはもうたくさんだ。われわれは秩序であり、理性であり、古典的均衡である……。」
クリストフはそれを面白がった。
「そうしたものさ。」と彼は言った。「若い者たちは老人らを墓穴の中に投げ込むのだ……。僕の時代には実のところ、六十歳になってから老人扱いをしたものだった。が現今では人の歩みがずっと早い……無線電信や飛行機の世の中だ……一つの時代はずっと早く疲れてしまう……。憐《あわ》れな奴どもだ、奴らだって長続きはしない。大急ぎでわれわれを軽蔑《けいべつ》して日向《ひなた》をのさばり歩くがいいさ!」
しかしエマニュエルはそういうりっぱな健康をもたなかった。思想上では勇敢だったが、実は病的な神経に悩まされていた。佝僂《せむし》の身体に熱烈な魂を包んでる彼は、戦いを必要としていたが、戦いに適してはいなかった。ある種の邪悪な批評に接すると、血が流れ出るほど傷つけられた。
「ああもし批評家らが、」と彼は言った、「うっかり発する不正な言辞で、いかなる害を芸術家たちに与えてるかを知ったら、自分の職務を恥ずるに違いないです。」
「でも彼らはそんなことを知ってるよ。そしてそれが彼らの生存の理由なんだ。すべての者が生きなければいけない。」
「彼らは冷血漢です、われわれは生活のために血まみれになり、芸術上でなすべき戦いに疲れはてています。そういうわれわれに手を差し出し、われわれの弱点を同情の念で語り、その弱点を償うように親しく助けてくれるのがほんとうです。しかし彼らはそんなことをするどころか、両手をポケットにつっ込んで、重荷を負って坂を上るわれわれをうち見やって『できるものか……』と言っています。そしてわれわれが頂まで登りつくと、『なるほど、しかしそんな登り方をしたのはいけない、』とある者は言います。またある者は、『まだ登りつけてやしない……』と頑固《がんこ》に繰り返します。われわれをころがそうとして足に石を投げつけないとすれば、まだしも幸いというべきです。」
「なあに、彼らの中にだって二、三のりっぱな者がいないとは限らない。でもいったい彼らにどんないいことができるものか。そして愚劣な者はどの方面にだっている。それは職分によることではない。たとえば、温情はなく虚栄心に富んで気短かで、世の中を餌食《えじき》と心得ていて、それをつかみ取ることができないのを憤ってる芸術家などは、もっともいけない者ではないだろうかね。人は忍耐をもって武装していなければいけないよ。いかなる悪も多少の役にたたないものはない。もっとも悪い批評家もわれわれに有益になる。それは一つの刺激者となる。われわれに道草を食うことを許さない。われわれがもう目的地へ達したと思うことに、犬どもはわれわれの尻《しり》に噛《か》みつく。前進し、なお遠く行き、なお高く登ることだ。そうすれば、先に立って進むことにこちらで疲れるよりも、犬どものほうでついて来ることに疲れるだろう。アラビヤの格言を思い出してみたまえ。『実を結ばぬ木は苦しめられない[#「実を結ばぬ木は苦しめられない」に傍点]。金色の果実を頭にいただいてる木だけが[#「金色の果実を頭にいただいてる木だけが」に傍点]、石を投げつけられる[#「石を投げつけられる」に傍点]。』……人から用捨される芸術家たちこそ気の毒だ。彼らは中途に止まって無精らしくすわりこむ。ふたたび立ち上がってみても、足がしびれて歩けないだろう。ためになる敵こそありがたいものだ。僕は生涯《しょうがい》のうちで、害になる友からよりも彼らからいっそう多くの益を受けてきた。」
エマニュエルはみずから微笑を禁じ得なかった。それから言った。
「それでもやはり、あなたのような老練兵が、初めて戦いに臨んだばかりの新兵どもに指図《さしず》されるのは、嫌《いや》なことだとは思いませんか。」
「僕には彼らが面白い。」とクリストフは言った。「そういう横柄さは、自己を押し広げたがってる若い沸《わ》きたった血のしるしだ。僕も昔はそうだった。それは生き返ってくる大地にそそぐ春雨である……。われわれに指図をするがいいさ。結局彼らのほうが道理だ。老人は若者の学校にはいるがいいのだ。彼らはわれわれから利益を受けてきて、忘恩者ではあるが、それは物の順序だ……。そして彼らはわれわれの努力を取って豊かになっていて、われわれよりいっそう遠くへ進み、われわれが試みたことを実現するんだ。もしわれわれになお多少の若さが残っていたら、われわれもまたよく学んで、自己を革新することに努めたいものである。もしそれができないならば、あまりに老いすぎているならば、彼らのうちに自分自身をながめて楽しみたいものである。枯渇したように見える人間の魂がいつもまた花を咲かせるのは、見ても美しいことだ。それらの青年の強健な楽天観、彼らの冒険的行動の喜び、世界の征服のためによみがえるそれらの民族、それは見ても美しいものだ。」
「けれど、もしわれわれがいなかったら、彼らはどうなったでしょうか。そういう喜びはわれわれの涙から出て来たものです。そういう高慢な力は、一つの時代の苦悩から咲き出したものです。かく汝働けどもそれは汝のためにあらず[#「かく汝働けどもそれは汝のためにあらず」に傍点]です……。」
「その古い言葉は誤っている。われわれを通り越すような一時代の人間を造り上げながら、われわれはわれわれ自身のために働いたのだ。われわれは彼らの宝を積み上げてやり、四方から風の吹き込む締まりの悪い破れ家の中でそれを護《まも》ってやった。死をはいらせないようにと自分の身で扉《とびら》をささえねばならなかった。そして子供たちの進むべき勝利の道をわれわれの腕で開いてやった。そのわれわれの労苦は未来を救い上げた。われわれは約束の土地[#「約束の土地」に傍点]の入り口まで方舟[#「方舟」に傍点]を導いてきた。方舟《はこぶね》はその土地へ、彼らとともにそしてわれわれの力によってはいってゆくだろう。」
「でも彼らは、神聖なる火や、わが民族の神々や、今は大人《おとな》となってるがその当時子供だった彼らを、背に負いながら沙漠《さばく》を横切ってきたわれわれのことを、思い出してくれるでしょうか? われわれは艱苦《かんく》と忘恩とを受けてきたではありませんか。」
「それを君は遺憾に思ってるのか。」
「いいえ。われわれの時代のように、自分の産み出した時代の犠牲となる力強い一時代の悲壮な偉大さは、それを感ずる者をして恍惚《こうこつ》たらしむるほどです。現今の人々は、忍従の崇高な喜びをもはや味わうことはできないでしょう。」
「われわれはもっとも幸福だったのだ。われわれはネボの山によじ登ったのだ。山の麓《ふもと》にはわれわれのはいり込まない地方が広がっている。しかしわれわれはそこにはいり込む人々よりもいっそうよくその景色を享楽している。平野の中に降りてゆくと、その平野の広大さと遠い地平線とは見えなくなるものだ。」
クリストフはジョルジュとエマニュエルとに平和な感化を及ぼしていたが、その力は、グラチアの愛の中から汲《く》み取っていた。その愛のために彼は、すべて若々しい者に結びついてる心地がし、生のあらゆる新しい形式にたいして、けっして鈍らない同情をいだかせられた。大地をよみがえらしてる力がどんなものであろうとも、彼は常にその力とともにいて、それが自分と反対のものであるときでさえそうだった。少数の特権者の利己心に悲鳴をあげさしてるそれらの民主主義が、近く主権を占めることにたいしても、彼は恐れの念をいだきはしなかった。年老いた芸術の念珠《ねんじゅ》に必死とすがりつきはしなかった。架空な幻像から、科学と行動との実現された夢想から、前のものよりもいっそう力強い芸術がほとばしり出るのを、確信をもって待ち受けていた。たとい旧世界の美が自分とともに滅びようとも、世界の新しい曙《あけぼの》のほうを祝福したかった。
グラチアは自分の愛がクリストフのためになることを知っていた。自分の力を意識して自分以上の高い所へ上っていた。彼女は手紙によってある程度まで友を支配していた。それでも芸術上の指導までしようという滑稽《こっけい》な考えはいだかなかった。彼女はきわめて怜悧《れいり》であって、自分の限度を心得ていた。しかし彼女の正しい純なる声は、彼が自分の魂の調子を合わせる音叉《おんさ》だった。彼はその声が自分の思想を反響するのが前もって聞こえる気がして、もうそれだけで、反響されるに足る正しい純潔なことをしか考えなかった。りっぱな楽器の音は音楽家にとっては、自分の夢想がすぐに具現される一つの美しい身体に等しいものである。たがいに愛する二つの精神の融解の不可思議さよ。たがいに相手の有するよきものを奪い合う。しかしそれも自分の愛でそれを豊富にして返さんがためにである。グラチアはクリストフに自分が彼を愛してることを憚《はばか》らず言っていた。遠く離れてるために彼女は前よりいっそう自由に話をするようになっていた。それはまた、けっして自分は彼のものとなることがないだろうという確信のためでもあった。宗教的な熱情を伝えるその愛は、彼にとっては平安の源泉であった。
その平安を、グラチアは自分がもってる以上に与えていた。彼女の健康は破られ、彼女の精神的平衡はひどく害された。息子《むすこ》の容態もよくはなかった。彼女は二年来たえず危惧《きぐ》のうちに暮らしてきた。そしてその危惧は、リオネロから残忍な才能で弄《もてあそ》ばれるだけにいっそう募っていった。リオネロは自分を愛してくれる人々をいつも不安がらせる術においては、みごとな腕前を習得していた。同情を起こさせたりするために、彼の隙《ひま》な頭脳はいろんな手段を考え出した。それが一種の病癖となってしまった。そして悲しむべきことには、彼が病気を装ってるうちに、病気は実際に進んでいた。そして死が門口に姿を現わした。なんたる劇的皮肉ぞ! グラチアは幾年となく息子の仮病に悩まされてきたので、実際彼が病気になってももうそれを信じなかった……。人の心には限度がある。彼女は嘘《うそ》にたいして自分の同情の力を使い果たしていた。リオネロがほんとうのことを言っても彼女はそれを芝居だと見なした。そしてほんとうのことが明らかになったあとでは、彼女の残りの生涯は悔恨の念に毒されてしまった。
リオネロの意地悪はいつまでも和らがなかった。彼はだれにたいしても愛の心をもっていないくせに、周囲の人々のだれかが自分以外の者を愛するのを許し得なかった。嫉妬《しっと》が
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