っていて、中央アジアの名高い発掘で世に知られたアッシリア学者だった。同民族の多数の者と同じく好奇心に富んだ広い精神をもっていて、その専門の研究だけに閉じこもっていずに、美術、社会問題、現代思想の各種の現われなど、無数のことに興味をもっていた。がそれでもなお彼の心を満たすに足りなかった。というのは、彼はあらゆることを面白く思ったが、どれにも熱中することができなかった。きわめて頭がよく、あまりに頭がよく、何物にもあまりにとらわれなくて、一方の手でこしらえ上げたものを他方の手でこわしがちだった。実際彼は著作や理論などを多くこしらえ上げていた。非常な勉強家だった。自分のしてることを別に有益だとは思わなかったが、習慣によってまた精神的摂生法によって、自分の痕跡《こんせき》を学界に気長に深く刻みつづけていた。いつも禍《わざわい》なことには富裕だった。そのため生存競争の興味をかつて味わったことがなかった。東方諸国における努力にも数年の後に飽いてしまって、それからはもうなんらの公職にもつかなかった。それでも自分独りの勉強以外に、時事問題、実際直接な社会改革、フランスにおける社会教育の改造、などに先見の
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