各地に暮らしてきた。かくて、パリーの擾乱《じょうらん》の間にも、またその後、外国へ亡命の間にも、帰国してからは政府に加担してる昔の仲間のうちにも、あらゆる革命党の内部にも、多くの卑劣な行ないを目撃したので、どの革命派からも身を引いて、一つの汚点もないしかし無益な自信だけを安らかに保有したのである。彼は多く書を読み、なまぬるい煽動《せんどう》的な書物を少し書き、遠くインドや極東の無政府主義運動に――(人の噂《うわさ》によれば)――関係をもち、世界の革命に従事し、また同時に、同じく世界的ではあるが外見上もっとやさしい研究に従事して、音楽の通俗教育のために、世界的言語と新しい方法とを求めていた。彼はその建物に住んでるだれとも交際しなかった。出会った者と極度に丁寧な辞儀をかわすだけにとどめていた。それでもクリストフへだけは、自分の考えた音楽上の方式について数言語った。ところがそれはクリストフにはもっとも興味のないことだった。クリストフに言わすれば、思想の符号は別に重大なことではなくて、いかなる言語をもってしても思想を表現し得るのだった。しかし向こうはそれでもなおやめずに、穏やかな執拗《しつよう
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