《いぶ》きに満たされていた画家が、また明快なパストゥールほど、熱烈謙譲な信仰に貫かれていた学者が、ヨーロッパのいかなる国にいたかと反問した。――パストゥールこそは、無窮という観念の前には平伏し、その思想を奪われるときには、彼自身で言ってるとおり、「将《まさ》にパスカルの崇高な狂暴にとらわれんとしかかって、理性に宥恕《ゆうじょ》を求めながら、痛切な苦悩に陥った」のだった。確実な歩行で、一足も他にそれずに、「第一歩の自然界、極微なるものの大なる暗夜、生命の生まれ出てくるもっとも深い生物の深淵《しんえん》、」その中を彷徨《ほうこう》してる彼の、熱烈な理性にとっては、ミレーの雄々しい写実主義にとってと同じく、カトリック教ももはや邪魔物とはならなかった。そしてこのミレーやパストゥールは実に、田舎《いなか》の民衆の間から現われてきて、田舎の民衆の中から信仰を汲《く》みとったのだった。そういう信仰は常にフランスの土地に潜んでいて、煽動《せんどう》政治家らの弁舌によってもけっして打ち消されないものだった。オリヴィエはその信仰をよく知っていた。彼は胸の中にそれをになってるのであった。
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