小なことやまたは天才の欠乏をさえも、後はもはやとがめようとは思わなかった。彼らは一つの作品よりもさらに大きなものを、音楽的民衆を、創《つく》り出したのであった。新しいフランス音楽を鍛え上げた、それらの偉大なる労働者らのうちでも、ことにある一人の姿が彼にはなつかしかった。それはセザール・フランクの姿だった。育て上げた勝利を見ずに死んだフランクは、あたかも老シュルツのように、フランス芸術のもっとも暗澹《あんたん》たる時代の間に、自分の信仰の宝と民族の天才とを、おのれのうちに完全に保有していたのである。困窮と軽蔑《けいべつ》された労働との生活のうちに、忍耐強い魂の不変の清朗さを失わず、その諦《あきら》めの微笑で温良に満ちた作品を照らしていた、この天使のごとき楽匠が、音楽の聖者が、享楽的なパリーのまん中にいたことは、心打たるる光景だった。
フランスの深い生活を知らないクリストフにとっては、無信仰な民衆のさなかにこの信仰ある大芸術家がいたことは、ほとんど奇跡に近い現象と思われた。
しかしオリヴィエは静かに肩をそびやかした。清教徒たりしフランソア・ミレーに匹敵するほど、聖書《バイブル》の息吹
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