では、芸術の中にはそういうものが少しも現われていなかった。クリストフはオリヴィエに尋ねた。
「君の国の人たちは、ドレフュース事件によって、星の世界までもち上げられ、また深淵《しんえん》の中に投げ込まれたじゃないか。そういう暴風が心中を吹き過ぎたような詩人は、どこにいるのか。目下宗教的な人々の魂の中には、教会の権力と良心の権利との間に、数世紀来のもっとも激しい戦いが行なわれてるじゃないか。その神聖な苦悩が心中に反映してるような詩人は、どこにいるのか。労働者階級は争闘の準備をし、幾多の国民は死滅し、幾多の国民は復活し、アルメニア人は虐殺され、アジアは千年の眠りから覚めて、ヨーロッパの鍵鑰《けんやく》たる巨大なるロシアを倒し、トルコはアダムのように白日の光に眼を開き、空中は人間から征服され、古い大地はわれわれの足下に割れて口を開き、一民衆をことごとく呑噬《どんぜい》している……。それらの異変はすべて二十年間のうちに行なわれ、幾多のイーリアス[#「イーリアス」に傍点]をこしらえ出すだけの材料がある。ところがそのイーリアス[#「イーリアス」に傍点]はどこにあるのか、君の国の詩人らの書物の中にイー
前へ
次へ
全333ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング