苑tして、非常な成功を収め、それが彼の感激とともに、ドイツへ反響して、ドイツでも演奏された。楽長の方ではクリストフと文通を始め、他の作品を求め、尽力を申し越し、熱心な宣伝をしてくれた。ドイツでは、昔排斥されたイフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]がふたたび取り上げられた。人々は天才だと叫んだ。クリストフの経歴の小説的な事情は、少なからず人の注意をひく助けとなった。フランクフルト新聞[#「フランクフルト新聞」に傍点]が初めて、反響の大きな記事を掲げた。他の新聞もそれにならった。するとフランスにおいてもある人々は、フランスに大音楽家がいることに思いついた。パリーの音楽会長の一人はクリストフに、そのラブレー風の叙事詩曲がまだでき上がらない前から演奏を申し込んだ。グージャールはクリストフの来たるべき名声を予感して、自分が発見した天才たる友人のことを、意味深げな言葉で語り始めた。そして素敵なダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を記事で賞賛した――前年ある記事で二、三行|悪罵《あくば》を加えたことなんかは、もうきれいに忘れはてていた。彼の周囲の者も一人として、もうそれを覚えてはいなかった。パリーでは
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