ゆる奔走がつらかった。自分の作品のために身を屈したくはなかった。阿諛《あゆ》的な追従《ついしょう》を見ると恥ずかしかった。たとえば、知名な劇場支配人は、青年作家らの卑怯《ひきょう》さに乗じて、召使にたいするよりもひどい態度を示していたが、それに向かって彼らは、やはり卑しい阿諛を事としていた。オリヴィエには、たとい生活問題に関するときでもそういうことができなかった。彼は自分の原稿を、劇場や雑誌の事務所に、郵送するか置いてくるかだけだった。その原稿は幾月も読まれないで放っておかれた。ところがある日彼は偶然に、中学時代の古い同窓の一人に出会った。愛すべき怠惰者《なまけもの》だったが、オリヴィエからいつも親切にたやすく宿題を作ってもらったことがあるので、今でもなお深い感謝の念を失わずにいた。文学のことは何にも知らなかったが、はるかに好都合なことには、文学者らに知人をもっていた。そして、金持で俗人だったので一種の見栄坊《みえぼう》から、内々文学者らの利用するところとなっていた。その男が自分の出資してるある大雑誌の幹部へ、オリヴィエのために一言口をきいてくれた。するとただちに、オリヴィエの埋もれた
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