いては、何事にも全員一致というものがなかった。もしあれば、それはごくまれな場合にだけであって、しかもそのときには、全員一致の性質が流行病的なものとなり、そしてたいていは、病的であるがゆえに誤ったものとなった。個人主義がフランス人の活動のあらゆる方面に君臨していた。学術的な仕事におけると同じく、商業においても個人主義は、大商人らが結合して主人側の協定を作ることを妨げていた。この個人主義は充実したあふれきったものではなくて、執拗《しつよう》な蟄居《ちっきょ》的なものだった。一人でいること、他人から負い目を受けないこと、他人に関係しないこと、他人に交じっておのれの劣等さを感ずるのを恐れること、自分の尊大な孤立の静安さを乱さないこと、そういうのが、局外的[#「局外的」に傍点]雑誌や局外的[#「局外的」に傍点]芝居や局外的[#「局外的」に傍点]集団を作ってる人々の、内心の考えだった。雑誌や芝居や集団の存在の理由は、多くはただ、他人といっしょにいたくないという願い、共通の行為や思想のうちに他人と結合することの不可能さ、または、党派的|敵愾《てきがい》心でないとすれば、もっともたがいに理解していい人
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