っけい》な暴徒などに堕してしまった。すぐれた者はたがいに滅ぼし合った。多くの弱い善良な意志を結合して導くために生まれてる、力と信念とに満ちた卓越せる人々も存在していた。しかし彼らは各自におのれの群れをもっていて、それを他人の群れと一つにすることを同意しなかった。かくていつも少数の小雑誌や集会や結社のみであった。そしてそれらはあらゆる精神上の徳操をそなえてはいたが、ただ自己脱却の徳のみはもたなかった。なぜなら、いずれも他にたいして自我を通そうとばかりしていたから。かくして、数も少なく幸運はさらに少ない善良な人々の集まりのパン屑《くず》を、それらはたがいに奪い合いながら、貧血し飢餓してしばしの生命をつないでいた。そしてついには倒れてふたたび起《た》てなかった。それも敵の鞭《むち》の下にではなく――(もっとも嘆くべきことには)――自分自身の鞭の下にであった。種々の職業――文学者、劇作家、詩人、散文家、教授、教員、新聞記者――は多くの小さな部族をこしらえていて、それがまたさらに小さな部族に分かたれ、そのおのおのは門戸を閉ざし合っていた。たがいに出入りを許すことなどはさらになかった。フランスにお
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