の言葉で答えた。
『われわれはもっとも高い真理のうちで、世のためになり得るものをしか明言してはいけない。他の真理はそれをわれわれのうちにしまって置くべきである。隠れたる太陽の柔らかな光のように、それはわれわれのあらゆる行為の上に照り渡るだろう。』
 しかしそういう配慮は、それらのフランスの作家たちの心にほとんど触れなかった。彼らは自分の手にしてる弓が、「思想もしくは死[#「思想もしくは死」に傍点]」のいずれを放つか、あるいは両者をいっしょに放つかを、少しも問題としなかった。彼らは愛に欠けていた。自分がある観念をもってるときには、それを他人にも課そうとする。観念をもたないときには、他人にももたせまいとする。そして、そういうことができないのを見てとるときには、行動の興味を失ってしまう。フランスの優秀者らが、政治にあまり関係しないのは、それがおもな理由だった。彼らはおのおの、自分の信念のうちに、あるいは信念の欠乏のうちに、閉じこもってばかりいた。
 そういう個人主義を撲滅して彼らの間に種々の集団を作るために、多くの試みがなされてきた。しかしそれらの群れの多くはすぐに、文学的な討論会や滑稽《こ
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