なっていた。しかし細君の品位を保った冷然さは、夫のほうの皮肉さと同様に、人からよく思われなかった。そして彼らはあまりに高く止まって、実際になしてる善や善をなしたいという願望などを高言しなかったので、人々は彼らの控え目なのを冷淡だと見なし彼らの孤立を利己主義だと見なしていた。彼らは人からそういう意見をもたれてると感ずれば感ずるほど、ますます用心してそれを打ち消そうとはつとめなかった。同人種の多くの人たちの露骨な無遠慮さにたいする反動から、傲慢《ごうまん》が多く宿ってる極端な遠慮さのために、彼らは犠牲となっていた。

 小さな庭から数段高くなってる第一階には、植民地砲兵の将校で今は退職の身となってる、シャブラン少佐が住んでいた。まだ若々しい元気な男だった。スーダンやマダガスカルで花々しい戦いをしたこともあったが、その後にわかにすべてをなげうって、この住居に腰をすえ、もう軍隊のことは噂《うわさ》を聞くのもいやがり、花壇を掘り返したり、いつまでも物にならぬフルートの稽古《けいこ》をしたり、政治のことを憤慨したり、愛する娘をいじめたりしながら、日々を過ごしていた。その娘というのは三十歳の若い女で
前へ 次へ
全333ページ中103ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング