のではなかった。人間ぎらいの役目をなし得ようとは自分でも思ってはしなかった。世間をあざけってはいるがその世間にたいしてむしろ臆病《おくびょう》だった。内心では、自分より世間のほうが道理でないとは確信できなかった。他人とあまり異なったふうをするのを避けていたし、表面に現われてる他人のやり方や意見に則《のっと》ろうとつとめていた。しかしいかにしても無駄だった。それらを批判せずにはいられなかった。あらゆる誇張されたものや単純ではないものにたいして、鋭敏な知覚をそなえていた。そして自分のいらだちを少しも隠し得なかった。ことにユダヤ人らの滑稽《こっけい》な点には、彼らをよく知ってるだけになおさら敏感だった。そして、人種間の柵《さく》を認めないほど自由な精神をもってたにもかかわらず、他の人種の者らが彼にたいして設けてる柵にしばしばぶつかったので、また、彼自身も不本意ながら、キリスト教的思想の中では異境にある気がしたので、彼は威厳ある孤立を守って、自分の皮肉な批判癖と細君にたいする深い愛情とのうちに引っ込んでいた。
災《わざわ》いなことには、細君もまた彼の皮肉な眼からのがれなかった。彼女は親切で、
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