下に、一種の無遠慮な乱暴さでこちらの意中を穿鑿《せんさく》してる、明晰《めいせき》冷静な雄々しい意力を感じた。その乱暴さのうちには、なんらの悪意もなかった。彼女は彼を手中に握っていた。それも、相手構わずにただ誘惑しようとばかりする追従女のやり方でではなかった。追従と言えば、彼女はだれよりも追従的であった。しかし彼女は自分の力を知っていた。その力を働かせることは、自分の自然の本能に任していた――ことに、クリストフのようなたやすい獲物を相手の時にはそうであった。――またいっそう彼女が興味を覚えるのは、自分の敵を知るということだった。(あらゆる男は、あらゆる見知らぬ者は、皆彼女にとっては敵であった――場合によってはあとで同盟の約を結ぶこともあり得る敵であった。)人生は一つの勝負事であって、怜悧《れいり》な者の方が勝ちを占める。要は、自分のカルタ札を見せないで、敵の札を見て取るにあった。それに成功すると、彼女は勝利の快感を味わうのだった。それから利を得るか否かは問題でなかった。慰みのための勝負だった。彼女は知力を非常に好んでいた。しかし、もし気を入るればいかなる学問においても成功するだけの堅固な頭脳を有してるとしても、また、兄よりもすぐれて銀行家ロタール・マンハイムの真の後継者となり得るとしても、抽象的な知力を好んでるのではなかった。生きたる知力の方を、男子にたいして働かし得る知力の方を、彼女は好んでいた。彼女の楽しみとするところは、人の魂を洞察《どうさつ》することであり、その価値を測定することであった。――(この測定に彼女は、マトシスのユダヤの女[#「ユダヤの女」に傍点]が貨幣を測ってるのと、同じくらい細心な注意をこめていた。)――彼女は驚くべき洞察力によって、鎧《よろい》の隙間《すきま》を、魂の秘鑰《ひやく》たる欠点弱点を、たちまちのうちに見出し、秘訣《ひけつ》を握ることを、よく知っていた。これが、他人を征服する彼女の方法であった。しかし彼女は、その勝利に長くかかわってはいなかった。獲物をなんとかしようとはしなかった。好奇心と自負心とが一度満足すれば、彼女はすぐに興味を失って、他のものへと移っていった。そのあらゆる力は、何物をももたらさなかった。かくも生々たるこの魂の中には、死が宿っていた。彼女は自分のうちに、好奇心と倦怠《けんたい》との天才をそなえていた。
かくて彼女は、彼女をながめてるクリストフをながめていた。ほとんど口をきかなかった。口の片隅《かたすみ》にかすかな微笑を見すれば、それでもう十分だった。クリストフは魔睡させられてしまった。その微笑が消えると、彼女の顔は冷静になり、眼は無関心になった。彼女は給仕の方に気を配って、冷やかな調子で召使に言葉をかけた。もう何も聞いていないかのようだった。それから、眼がまた輝いてきた。そして的確な三、四語は、彼女が残らず聞いて理解していることを示した。
彼女はクリストフにたいする兄の批評を、冷静に点検してみた。彼女はフランツが法螺《ほら》吹きなのを知っていた。美貌《びぼう》であり上品であると兄が吹聴《ふいちょう》していたクリストフの現われるのを見た時、彼女の皮肉な心は好機に接した。――(フランツは明瞭《めいりょう》な事実の反対を見るのに特殊な才をもってるかのようだった。もしくは、反対を信じて矛盾の面白みを味わってるようだった。)――しかしながら、なおよくクリストフを研究してみると、フランツの言ったことは嘘《うそ》ばかりでもないということを、彼女は認めた。そして発見の歩を進めるに従って、まだ不定不均衡ではあるがしかし頑健《がんけん》果敢な一つの力を、クリストフのうちに見出した。彼女は力の稀有《けう》なことをだれよりもよく知っていたから、それを喜んだ。彼女はクリストフに口をきかせ、その思想を開き示させ、その精神の範囲と欠点とをみずから示させることができた。また彼にピアノをひかせた。彼女は音楽を好きではなかったが、理解はあった。そしてクリストフの音楽からいかなる種類の情緒をも起こさせられはしなかったけれども、その独創の点を見て取った。そして慇懃《いんぎん》な冷淡さを少しも変えないで、決してお世辞でない簡単正当な二、三の意見を言ったが、それは彼女がクリストフに興味を覚えてることを示すものだった。
クリストフはそれに気づいた。そして得意になった。なぜなら、そういう批判がいかに価値あるかを、また彼女は滅多に賞賛することがないということを、感じたからである。彼は彼女の好意を得たいという欲求を隠さなかった。そしていかにも無邪気にそれをつとめたので、三人の主人らを微笑《ほほえ》ました。もはやユーディットへしか、そしてユーディットのためにしか、彼は口をきかなかった。他の二人へは少しも取り合わないで、
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