方に取残される。人間の言葉は不用意に発せられるもので、殊に情意の変動時に当っては、その爆発や沈潜からじかに湧き上ってくるものであるが、そうした言葉を何かで濾過する時には、それはもう情意の動きについていけない。
「紋章」のなかで、言葉を濾過してるものは何か。それを私は前述し来った「私」だと見る。この「私」は、常に人物の跡をつけて、その刻々の心理の状態を捉えようとする。心理は刻々に動いてゆくが、捉えようとするのは、その刻々の状態である。そういう「私」によって濾過された言葉は、地の文の中にとけこんで、平常の場合には特殊の力と生命とを持つが、変動しつつある場合には、心理の動きから一歩後れるのは仕方ないことであろう。
現実のいずれの相が真実でありいずれの相が虚偽であるか、そういうことを信じようと信じまいと、または、それの見分けがつこうとつくまいと、芸術のなかに現実を或は再現し或は飜訳し或は建立する場合、作家はただ自分の真実に頼るより外はない。そしてこの真実は、その動向の如何によって、作家に種々の態度を取らせる。「紋章」の作者は、そこで、「私」というものを得た。人間の心理に於ては、一つのものは一
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