まうことだ。――しからざる時は、諸君は取返しのつかぬことになる、私が一時間ばかり前からにッちもさッち[#「にッちもさッち」に傍点]も足悶《あが》きがとれなくなってしまったように――。
 ああ、初めのうちに読み返した幾通かの手紙は私には何の興味もないものだった。それにその手紙は比較的新らしいもので、今でもちょいちょい会っている現に生きている人たちから来たものであった。また、そんな人間の存在は私の心をほとんど動かさないのである。が、ふと手にした一枚の封筒が私をはッとさせた。封筒の上には大きな文字で太く私の名が書かれてある。それを見ていると私の双の眼に泪《なみだ》が一ぱい涌《わ》いて来た。その手紙は私のいちばん親しかった青年時代の友から来たものだった。彼は私が大いに期待をかけていた親友だった。やさしい微笑を面に湛え[#「湛え」は底本では「堪え」]、私のほうに手をさし伸べている彼の姿があまりにまざまざと眼の前にあらわれたので、私は背中へ水でも浴びせられたようにぞうッとした。そうだ、死者はたしかに帰って来るものだ。現に私が彼の姿を見たのだからたしかである! 吾々の記憶というものは、この世界などよ
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