れたり致す事です。『朝日新聞』に出た諸先生の御説を拝見しますと、女子音楽学校長の山田源一郎《やまだげんいちろう》先生は「既に一個の家庭を持った以上はやはり夫唱婦和でなければ成立って行かぬであろう」と申されましたが、今の世の中に男も女も人形のような者でない以上、この夫唱婦和という子供の飯事《ままごと》みたいな手緩《てぬる》い生気のない家庭は作れまいかと存じます。
夫唱婦和などと申す事は男の方が自分の都合のいいように設けられた教で、根が女を対等に見ぬ未開野蛮のあさましい思想から出ております。片方《かたっぽう》の都合のいいように途中で設けられた道徳以上に、私どもは人の心が完全に発展して行けば必ず其処に達せねばならぬというものを土台にした道徳に由《よ》って安住致したい。もし夫唱婦和が人の本性《ほんしょう》に基いたものであるなら、諾冊二尊《だくさつにそん》が天《あめ》の御柱《みはしら》の廻り直しもなさらないでしょうし、また畏多《おそれおお》い事ながら教育勅語の中に「夫婦相和し」と夫婦の対等を御認めにもならなかったでしょう。山田氏などの教育家の御説が正しいものならば、教育勅語にも「夫唱婦和し」と
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