仰せらるべきはずです。

 昔には夫唱婦和で表面《うわべ》だけにせよ家庭が治《おさま》った御治世もありましたから当時の道徳としてはそれで好《よ》かったかも知れませんが、婦人の目が開《あ》き掛けて男と対等の地位を自覚しようとする今日に、まだそのような未開野蛮時代の道徳で婦人を圧《おさ》え附けようとする教育家諸先生の頭脳《あたま》の古風なのに驚かねばなりません。道徳は教育家ばかりの私するものでないのですから、その古風な頭脳のみで御判断なされずに、今の世の識者の意見を遍《あまね》く参照して、文明人が安心して実行する事の出来るもっと堅固な、もっと立派な道徳を教育家自身が先ず体得して、それを以って水が低きにつく如く無理のない自然な教育をなされてはどうでしょうか。私どもからかような事を申上げるのは教育家の頭脳がまだ十八世紀以前に固定しているからであって、諸先生のために甚だ惜まねばなりません。

 婦人がかような正しい道理を教育家に対して申上るようになったのは、今の婦人が生意気なからでもなく、澆季《ぎょうき》の世になったのだといって御歎息なされる訳もありません。文明の結果教育の結果は必ず婦人の目が開
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