や、減食や、粗食に由って機械と動物との位地にまで追い詰め、追い詰め、低下させようと努力されるのを見ると、私は文化生活の意義を自覚しない指導者たちを持つことの危険に戦慄《せんりつ》します。
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廃物利用奨励の愚挙であることはかつて別に述べましたが、贈答や送迎の廃止に熱中される婦人たちに対しても、その事の徒労であるのを私は気の毒に思います。贈答には自《おのずか》ら限度があります。昔から贈答に由って家を亡し産を破ったという例を聞きません。それが物質的理由で出来なくなれば、各自が気が附いて止めずに置かない性質のものです。飲酒の害と同一に言われないものです。私は酒さえも絶対に禁じることに反対しています。贈答の弊害や浪費を注意するのは好いに違いありませんが、贈答や送迎を単に金銭や時間の利害ばかりで批判するのは、愛や趣味のような大切な人間性の発揚を無視した野蛮な行為です。動物や自然人には贈答や送迎の必要がないかも知れませんが、こういう功利主義以上の感情生活を撥無《はつむ》して何処《どこ》に文化人の生活があり得るでしょうか。私はそれらの婦人たちが進んで芸術の無用をさえ説かれるに到る
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