ことを怖れます。
 世の中には、功利主義的の打算ばかりで生きて行かれない事もありませんから、買物帳をきちょうめんに附けたり、食べる物も食べず、自分と良人と子供との営養を削り取ってまで貯金の殖えることを楽みにして、唯だ口先ばかりで愛とか趣味とかを説き、他人の吉事に祝の品も贈らず、時々の音信に添えて珍しい物の贈答もせねば、他人の旅行に送迎を廃するというような日送りも、それでその人たちの感情が満足される限り、その人たち自身の処世法としては自由であると思いますが、それを印刷物や手紙やで私たちにまで勧告されるに到っては迷惑千万だといわねばなりません。そのような非人情的な運動に、他人の感触を害してまで力瘤《ちからこぶ》を入れられる必要が何処にあるでしょうか。私は敢てそれを無駄なことだと断言します、私たちは経済的の打算ばかりで生きるには余りに自己の尊貴を知り過ぎました。

       *

 私は、指導者側の婦人たちが自身を先ず一切の因習から解放することの運動――自己改造の運動――を経ないで置いて、言い換れば、自分自身は旧世界の遺物である物質主義、功利主義、常識主義の汚染を洗い落さずに置いて、この
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