破天荒な世界改造の新時代、あらゆる価値の顛倒《てんとう》しつつある今日に、未来の生活方向の指導者として、私たち一般の婦人に、その時代錯誤の各種の運動を試みられることの矛盾を反省して頂きたいために、以上の直言を敢てしました。
それらの各種の運動が一時のお祭騒ぎでなく、如何に真面目《まじめ》に熱心に起されても、文化主義の理想と一致する所がなければ、文化主義から絶縁し孤立した一種の遊戯行動であって、いずれも文化運動の体系には属さないものになってしまいます。私たちにはそれがあらずもがなの行為に見えます。そうしてそれらの無用|乃至《ないし》有害な運動に、あたら精力を消耗される先輩婦人たちの徒労を惜みます。露骨にいえば、それらの低級な常識的、物質的、功利的の運動のみに忙しく暮される婦人たちは、どうしてそんな非文化的行動の中に生き甲斐を求められるのであろうかと不思議に思います。
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左右田博士は「文化主義の論理」という論文の中で「あるいはあるがままの状態に妥協をなして惰眠を貪《むさぼ》らんとする保守主義、退嬰《たいえい》主義、凡俗主義、常識主義、乃至《ないし》好都合主義や……単
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