に物質的成功を以て文化に対する貢献なりと誤解し、煩瑣《はんさ》なる形式生活に追随するのみを知って人生の意義を解するを忘れたる物質主義素町人主義は皆排せざるべからず」といい、また「われらは道義のためにのみ生くるのではない。われらは常識の民としてのみ生くるのではない。いわんやわれらはいわゆる成功せんがためにのみ生くるのではない。われらは文化の帰趨《きすう》に朝《ちょう》せんとして文化価値の実現を努むる人格として生きんとするのである」といって、文化生活の水準に登らない孤立無理想の生活を批難されましたが、最近の婦人運動には、この厳粛なる批難の前に撤廃するか、もしくは開眼を施すか、いずれかの勇断を要するものが多いように思います。
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もしそれらの先輩婦人たちが早く文化生活の意義に通じておられたならば、その一々の社会的行動は、文化価値実現の理想を標準として批判され取捨されて、残るものはすべて文化運動の体系に繋《つな》がることが出来たでしょう。のみならず、現在の日本において、同じ文化運動でも、その本末と、軽重と急不急との序次を考察して、大局に関係するものを先とし、局部的なものを後
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