廻しにするだけの用意があったでしょう。
 しかるに、未来の生活理想に自覚を欠いた先輩婦人たちは、すべて因習に妥協し現状を維持する気分の中に、大した煩悶《はんもん》もなく住んで、名は改造といっても、その実際は何物も破壊せず、何物も創造せず、在来の範囲で単に無用の「置き換え」を試みて、それを婦人の活動と曲解されているに過ぎないのです。従って、その運動は前に挙げたような物質主義、功利主義、非人格主義の軽躁膚浅な行動に停滞しています。それらの婦人たちは、工場婦人の倫理問題、衛生問題、労働時間制限問題、賃銀値上げ問題、夜業禁止問題等についても、また国際労働会議における日本の婦人労働顧問の人選などについても、何らの動く所がありません。労働者の同盟罷工や怠業が如何に起ろうとも、信友会の印刷女工たちが如何に炊き出しをして組合の同盟罷工に活動していようとも、それらの事件に対して全く同情も声援を与えられません。有産と無産の階級闘争は既に我国にも爆発の端を示していますのに、それに対して何らの調節運動も促進運動も試みられません。それについて意見の発表さえもないのです。また町村会初め帝国議会に到るまでの政治機関
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