が全く払われていないのです。その一例を言えば、玩具《おもちゃ》の「起き上り小法師《こぼし》」を材料は手前持ちで千個作って、得る所の賃銀は纔《わず》かに壱円二十銭です。また麻を心にして布をくけ附ける下駄の鼻緒は百足作って十六銭の賃銀が与えられるだけです。一千個の「起き上り小法師」、百足の鼻緒、それは大分の熟練をつまねば、家庭の婦人の手で一日に仕上げることは出来ないものでしょう。今日物価の騰貴に追随して、是非ともその賃銀だけの収入を得なければならないとすれば、一日十五、六時間の勤労を費して、それを仕上げるでしょう。ああ、この単調な、不愉快な、大量な、苦痛な長時間の労働、其処《そこ》には物質に使役される人間の機械化、過労のための人格の圧殺があるばかりです。乏しい賃銀ながら、それに由って生物として飢餓線を守ることは出来るでしょう。しかし人格者としての生活は無残にも枯《から》されてしまいます。文化生活に必要な精神的教養の余裕もなければ、自己の天分に応じた独得の文化生活を創造する見込も全く断たれてしまいます。これが果して私たちのために望ましい家庭内職でしょうか。その指導者たる婦人たちは文化生活の理
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