歩脱して、纔《わず》かに自発的、創造的、有意的活動の端緒に就いたというだけで、まだその目的が一定しないのですが、文化主義の自覚を待って初めて自我発展主義に「眼」もしくは「魂」を入れたということが出来ると思います。
私は文化主義について、さきに阿部次郎《あべじろう》さんの訳述されたリップスの『倫理学の根本問題』から多く啓発せられたのですが、近頃は高田保馬さんと左右田喜一郎《そうだきいちろう》博士の論文とから更にいろいろの教《おしえ》を受けたことを茲《ここ》に感謝します。
文化とは、人間が自発的、創造的、有意的の努力の結果として作り上げた事象の全体をいい、その内容としては、高田さんに従えば「一は吾人の心理的内容及びこれに伴随する動作にして、人為を待ちて成立し、従いて価値を認めらるるもの、宗教、科学、芸術、哲学等より、言語、道徳、法律、習慣、風俗等の内容に及ぶ。他は外界の事務にして、しかも人間の努力を加えられるがために価値を有するに至れるもの、いわゆる経済的財は殆ど皆これに属する。なおこの外に第三の種類として社会組織を挙ぐべきかとも思う」といわれるものがそれです。そうしてこれらの文化内容
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