す。私の心理的実証を平明に述ぶればこういう外はありません。私は宗教家たちが四六時中に神や仏を持念するというような事を信じ得ない者です。いわんや女子が常に新良妻賢母主義を中心として生活するなどという事は実際に不可能な事だと思います。言葉を換えていえば、人間は母性と母性的行為とがその全部でなく、母性と交渉しない無限の性能があり、それらの性能が発展した無限の種類の行為があるからです。例えば女子が田の植附をしたり、化学の実験をしたりする場合、それらの行為は少しも母性と関係を持たず、男女の性別を越えて、男子と共に為しつつある事です。それとも母性中心説の支持者は、田を植附ける時にも、試験管を覗《のぞ》く時にも、良妻賢母の意識をはっきりと持たなければならないというのでしょうか。また田を植附けたり、試験管を覗いたりする時の女子の心理をたぐって突き詰めると、それが母性中心説へ達せねば已《や》まないものであるというのでしょうか。 

 次に私は「文化主義」を以て人間生活の理想とすることを、改造の基礎条件の第二とする者です。自我発展主義だけでは、人間の活動が動物に共通する自然的、受動的、盲目的運動の域から一
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