を思っていられないほどせっぱ詰って目前の小さな自己を抱かねばならない場合もあるのです。人情の真実に徹しない人たちは、このH氏の場合を見て「子の愛の浅い親よ」というでしょう。私はそれに与《く》みすることが出来ません。
H氏の例は極端なようですが、人間は平生誰れでもこれと類似した生活をしているのです。飢えた者は何よりも先ず食物を求めて、その他のことを後廻しにします。儒教では父母のある間は遠方へ旅行しないということを道徳としています。それだからといって、人は食物中心主義とか孝道中心主義とかに一生の重点を決めてしまう訳には行きません。
三月の『婦人公論』を読むと、山田わか子女史は、私が屋外の労働や、屋外の女子参政権運動をしないのを咎《とが》めて、それらの実際運動を他の婦人に盛んに奨励しながら、私自身には常に否定しているといわれましたが、私が屋外の労働に服さないのは、それを避けるのでも否定するのでもなく、私には久しく屋内の労働を持っているからです。私は如何なる婦人に対しても、専ら屋外の労働を盛んに奨励した覚えがありません。それと同時に、私にももし屋内の労働がなくなれば屋外の労働に進んで就き
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