ありませんから、日本人はこの意味をよく領解して大学過重の弊に陥らないようにし、父兄と女子自身との心掛次第で如何なる高度の智力でも修養し得るものであることを知って、女学生は勿論、既に人の妻たり母たる生活に入った若い婦人までが、読書と社会的接触とに由って出来るだけ各自の智力を高くかつ博《ひろ》くするように努力して欲しいと思います。
 私の言う智力とは学識の量をいうので無く、物事に対する理解力を意味するのです。学識の量をいうのなら到底専門学者に及ばない訳ですが、理解力は学者的態度を取るに及ばず、実際生活の直接経験と書物に現れた学者先覚者の議論の過程及び結論とを以て常に自分の常識を新しく補充しながら、何事に対しても部分に偏せず、表面に停滞せず、全体と核心とに正しく透徹した理解味到を持とうと注意さえすれば自然に花の綻《ほころ》ぶように内から開けて来る直覚作用です。

   婦人と読物

 私の度度《たびたび》述べることですが、特に「女の読物」として書かれた低級な物ばかりを読むのは、大人が子供のお伽話《とぎばなし》を読み耽《ふけ》るのと同じく、自分をわざわざ低能化しつつあるのだと思います。私どもは
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