た》ま若い婦人で思想論などをする知名な人があっても、それが多くは婦人の発言である所から世の注意を惹《ひ》くだけで、大抵の男子には出来る議論であり、男子の議論としてなら一顧の価もない程度のものなんです。例えば日本民族の将来とか、日本政界の近状とかいうことを質問されて、即座に一応の論理と実感味とを備えた明快な解答の出来る婦人が幾人あるでしょう。この一事でも婦人が国民としてまたは社会の一員としての生活に平生何の省慮も持っていないことが明白です。またそういう公人的の問題でなくて、現に母として子を教育している人に「教育の目的」を問い久しく妻たる境遇にある人に「結婚の意義」を問うた場合、人前に出せるだけの情理を一貫した意見を述べ得る婦人が幾人あるでしょう。婦人自身に最も切実なそういう問題に対してさえ一定の見識がなく、それについて是非解決せねばならぬほどの強烈な疑惑煩悶もないのが我我婦人の実状です。

   読書と家政

 婦人に読書を勧めることに対して、婦人を家政から遠ざからしめるものだとの批難があるかも知れませんが、近頃米国で婦人の参政権を許した各州の成績を男子側から公式に報告せられた所では、どの州の婦人も一斉に予期以上の良好な成績を挙げていて、家政を疎《おろそ》かにした婦人は選挙の時にさえ一人もなかったといいます。智力の優った米国婦人の行為を私どもが一足飛びに学ぶことは困難でしょうが、屋外行動の伴う政治に関係するのでなく、私どもは家庭内にあって読書の時間を得ようとするのですから、心掛次第で十分家事と並行させることが出来ると確信しています。日本婦人の平生は家政以外のくだらない事で随分だらだらと無駄な時間を費しています。その家政というのも少し努力すれば簡易に済ますことの出来る余地がいくらもあります。また茶の湯とか、挿花《そうか》とか、遊芸とかの稽古事《けいこごと》で過当な時間と精力を費しているのも非現代的だと考えます。私どもは倫敦《ロンドン》の婦人が少しの暇さえあれば家庭でも電車の中でも書物を披《ひら》いている熱心と聡明とを学ばねばなりません。
 それから私ども婦人の互に戒めねばならぬことは、どんなに読書をしても、またどんな物事に理解が出来初めても、それを誇るべきことのように思ってはならないことです。私どもはあくまでも謙譲と慎重とで終始しなくてはなりません。さなきだに婦人の性情
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング