合理はこの点にあります。それは百五十万乃至三百万人の有産階級のみが特権的に壟断《ろうだん》する政治であって、国民全体の政治とは如何にしてもいわれないのです。代議政治の美名を僭《せん》した財閥的専制政治と呼ぶのが至当です。
明治年間に藩閥、軍閥、財閥、学閥というようなものが特別に国家に役立った場合もあったでしょうから、それらの者が特権階級として国家の恩典や優遇を受けたのには多少の理由もあったかと想像されますが、今日は国民の知識が進んで、国民としての責任が個人個人に自覚されつつあるのですから、財産の有無を以て国民の創造能力を測定することは乱暴だと思います。
されば普通選挙の可否は、あらゆる生活の体系が民主主義化して行く今日において、もう少しも議論の余地のない問題です。先覚者たちがこれを主張して我々国民の蒙を啓《ひら》かれるのを聴く我々は、最も識別しやすいこの問題について、正当な批判を下し、これを更に我々自身の要求として国家に提出するのが至当だと思います。
しかし私たち婦人の立場から考えて、なお最も大切な条件が一つ残っています。現に我国の先覚者たちに依って唱えられている普通選挙には、
前へ
次へ
全13ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング