》れ主義を以て取締ろうというのは笑うべき事である。しかしかような目前の問題に対しても我国の中流婦人は何事をも知らないのである。

 男子側から如何に多くの婦人問題を出されても、婦人自身に目を覚《さま》さねばこの問題の正しい解決は著《つ》かないであろう。いやしくも在来の如き高等下女の位地に甘んぜざる限り、中流婦人が率先して自己の目を覚し、自己を改造して婦人問題の解決者たる新資格を作らねばならぬ。それには何よりも先ず想う婦人、考える婦人、頭脳の婦人となり、兼ねて働く婦人、行う婦人、手の婦人となることが急務である。「我は何者であるか。」「我は人である。男女の性の区別はあっても、人としての価値は対等である。」「我は人間を本位として万物を見ると共に、また万物|乃至《ないし》生物の一として我を見ることが出来る。」「我は世界人の一人であると共に、日本人の一人である。」「我は何の目的にて生れたるかを知らず。宇宙の目的の不可知なる如くに。」「我には生きたいという欲がある。」「なるべく完全に豊富に生きたいという欲がある。」「人は孤独にて生きることは出来ない。協同生活が必要である。」「男女は協同生活の基点で
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