即ち一は人類の幸福の増加、他は種族の存続。男は後者を履行することが出来ないようにされているので、主として前者にまで召命されている。女は彼らのみがそれに適しているので、全然その後者に召命される。……その本務は人間に由って発明されたものでなく、物事の本性の中にあるのである」(加藤一夫さんの新訳『我等何を為《な》すべきか』に拠る)と言われる。
この答を得てかえって私の疑惑は繁くなった。それは恐らく私の思慮の足りないせいであろうが、私にはトルストイ翁のこの答の中に重大な誤謬《ごびゅう》が含まれているように想われてならない。翁は男女の本務が物事の本性の中で予定されているといわれる。「物事の本性」とは男性は男性の本質、女性は女性の本質の意味であろう。私はそれを考察してみた。そうして私は「物事の本性」が男性女性という外面的差別の奥に「人間性」というもので全く内面的に平等であることを見た。そうして人類の本務はトルストイ翁の説かれるように二つを大別されていない。唯だ一つ「人類の幸福の増加」言い換ればより[#「より」に傍点]好《よ》く生きて行こうとする根本欲求の実現の外に何もないのを見た。これが人間性の
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