。しかし体的労働と心的労働が男に属する天賦の使命であって、女にはそれが第二義の事件であるという思想は二家共に一致している。
 こういう二家の主張と、これを継承し、または期せずしてこれと同調の思想を述べる主張が世にいう母性中心説である。私はこの説に対して疑惑がある。
 誤解を惹《ひ》かないために予《あらかじ》め断って置く。私は母たることを拒みもしなければ悔いもしない、むしろ私が母としての私をも実現し得たことにそれ相応の満足を実感している。誇示していうのでなく、私の上に現存している真実をありのままに語る態度で私はこれを述べる。私は一人または二人の子供を生み、育て、かつ教えている婦人たちに比べてそれ以上の母たる労苦を経験している。この事実は、ここに書こうとする私の感想が母の権利を棄て、もしくは母の義務から逃れようとする手前勝手から出発していないことを証明するであろう。
 女が世の中に生きて行くのに、なぜ母となることばかりを中心要素とせねばならないか、そういう決定的使命が何に由って決定されたか。私の意識にはこの疑問が先ず浮ぶ。そうしてトルストイ翁のこれに対する答えは「人類の本務は二つに分れる。
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