それを避けているのであり、あるいは結婚もせず親ともならない方がかえって他の事に由って人間の本務――人類の幸福の増加――をより自由に、より猛烈に実現し得る所以《ゆえん》からわざと夫妻父母の生活を避けているのである。また夫婦生活を開きながら生理的に親となり得ない男女がある。それは親となることを避けているのではないが、余儀なく男は父性から、女は母性から遠ざけられているのである。それらの夫婦は必ずしも不幸を感じていない。子供のないことに由って知らず識らず親としての生活以外に豊富な生活を送っている男女も多い。かえって沢山の子供を持ったために他の活動を侵害せられて、子供のないのを不幸と感じている夫婦よりも幾倍かの不幸に陥っている男女もある。
 親となる多数の男女があると共に、前述のように親とならないで一生を送る男女も寡《すくな》くないのが人間の実状である。母性中心説の第二の誤謬はこの実状を看過していることであるように想われる。もし一切の男女が悉《ことごと》く健康で、教育があって、経済的能力を備えていて、夫婦としての堅実な愛が容易に成り立って、自由と幸福の予想せられる境遇が与えられて、夫婦が必ず子供
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