来た。エレン・ケイ女史などが生活の表面に起伏して中心要素となる無量の欲求が永遠に対立しているこの見やすい事実を知っていながら、その欲求の中の母性ばかりを特に擁立して絶対の支配権を与え、いわゆる絶対的母性中心説を以て我々婦人に教えられるのは、対等であるべき無数の欲求に第一義第二義の褒貶《ほうへん》を加える非現実的な旧い概念から脱しきらない議論のように私には見える。
人が親となることは、親となる資格を備えている人という制限を越えない範囲で望ましいことである。未成年の男女、不健康な男女、無智な男女、全く経済的自活力のない男女、それらは結婚するのさえ不幸の本である。ましてそれらが親となることは一層の不幸が予知せられる。その場合男には父性の生活を、女には母性の生活を経験せしめない方がかえってよい人たちである。また結婚して親となる資格を備えていても、失恋とか孤独を好む性質とかに由って結婚を好まず、職業の関係から学者、宗教家、探検家、教育家、飛行機家、看護婦などのように結婚を避ける人たちがある。その人たちは結婚して親となることにみずから一種の不幸が予知せられ、それを予防する摯実《しじつ》な必要から
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