を持つことが出来て、そうして親となることを最上の生活と信じてそればかりを望んでいるなら、男は父性中心の生活を、女は母性中心の生活を営むことに専心し、それを以てケイ女史のいわゆる「生れつきの制限」と自信して父性母性以外の無数無限な人間の活動を第二義とし、方便とし、そうして子供を持つことばかりをケイ女史のように人間の愛の真の目的とすることが出来るであろう。
人生が空想小説でなくて厳粛な目の前の一大事実である限り、人間は一人一人の性情と境遇とに従って各自の生活方針を変化して行かねばならない。トルストイ翁の言われる「天賦の使命」とか、ケイ女史の言われる「個人の権利の生れつきの制限」とかいうようなものが私たちのために、そうして私たちの外に予《あらかじ》め一様に決定されていようとはどうしても考えられない。人間は一人一人の生きて行く必要から一人一人の権利と義務を――生れつきの制限ではなく――各自が個別にその時その時の必要を制限として自由に伸張しながら履行して行く外はないように私には見える。白耳義《ベルギー》の首府の看護婦学校長であった英国婦人エジス・カヴェル女史が去年|独逸《ドイツ》軍のために捕え
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