の概算が一カ年四億円――輸出総額の二割五分――に達しているので推断することが出来ます。
女子は母たる境遇にのみあるものでないのですから、その実力と興味とに従って内外の職業に就くことは可能です。女子の職業範囲は何人《なんぴと》の反対があっても、生活過程の必要である限り益※[#二の字点、1−2−22]拡がって行くでしょう。その過程には新しい悲惨な事実も続出するでしょうが、宇宙はいつも[#「いつも」に傍点]快晴ではないのですから、一つの比較的に最も善い新しい秩序を創《はじ》めるためには十の新しい障碍《しょうがい》が起ってもやむをえません。更にその障碍を除く新しい施設を工夫さえすれば善いのです。
母の境遇にある婦人といっても、子供の側に附切《つきき》っていねばならないものでなく、殊に子供が幼稚園や小学へ行くようになれば、母の時間は余ります。子供の側を離れられない期間にある女は屋内の経済的労働に服せば宜しい。妊娠や分娩の期間には病気の場合と同じく、保険制度に由って費用を補充するというような施設が、我国にも遠からず起るでしょう。否、大多数の婦人自身の要求でその施設の起る機運を促さねばなりません。
山田さんは「家事の煩忙」を女子の労働の不可能な一つの条件に数えられましたが、我国の家事は大部分無用なものですから、努力次第で最も早く除き得る小さい障碍《しょうがい》だと思います。
人の能《よ》くいう女子の労働能率を男子より低いとする通俗論は、戦争以来、英国ミッドランド鉄道会社その他の男女工能率の比較表を見ても確かに誤謬《ごびゅう》を示しております。或所では女工の能率が男工に対して二十パアセント高く、或所では女子を代用したるため一週間の製造高について五百個の減少を予想していたのに、かえって五百個を増加する結果を示しました。欧米において高級な行政事務にも続々と女子を用いていますが、適材を適所に置いたものは、優に男子と匹敵する能率を挙げているといいます。
世間にはまた妻や母が屋外の職業に就くと、家庭の情味を減じるという反対説があります。我国の現在の程度の職業婦人|殊《こと》に有夫有子の女教師たちにはそう[#「そう」に傍点]いう弊害が折々あるのを私も認めます。しかしそれは、一つは我国の女子教育が善くないからです。愛と理性との高い教育を疎《おろそ》かにしている以上、どの家庭婦人も高雅な
前へ
次へ
全14ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング